(とりかへばや 原文)


 大方には忍びて、例の中納言の方なる西の対に忍びやかに入り給へれば、いと暑き日にて、うちとけ解き散らして居たりける、見つけて、「いと不便に、無礼にて侍に」とて逃げ入るに、「あが君、たゞさて」と言ふに、聞かねば、女も無き所なれば心やすくて、続きて入りたれば、「まことに見苦しう」とうち笑ひて、つい居ぬ。「乱り心地の悪しきに、対面の久しくなるは、いみじう恋しく心細ければ、わざと尋ね参りつること」と恨むれば、「わりなしや。なめげなるに」と言ふを、「をのれも苦しきに、さて侍らんずるぞ」とて、装束解けば、「さらば、よかなり」とて居たり。涼しき方に、昼のおまし敷きてうち休みて、団扇せさせて物語などするに、中納言の、紅の生絹の袴に白き生絹の単衣着て、うちとけたるかたちの、暑きにいとゞ色はにほひまさりて、常よりもはなばなとめでたきをはじめ、手つき身なり、袴の腰ひき結はれてけざやかに透きたる腰つき、色の白きなど、雪をまろがしたらんやうに、白うめでたくをかしげなるさまの、似る物なくうつくしきを、あないみじ、かゝる女の又あらん時、わがいかばかり心を尽くし惑はんと見るぞ、いみじう物思はしうて、乱れ寄りて臥したるを、「暑きに」とうるさがれど、聞かず。
 物語などして、暮れぬれば、風涼しくうち吹き、秋来にけるけしきことにおぼゆるに、いと起こすべくもあらず。内侍の督の御方にもつゆの御消息伝ふる人もなく、こゝらの年比の思ひむなしうなりなば、我身の跡なくなりぬべきよしを言ひ続けて、恨むるさまのいみじうあはれなるに、このわたりにもかくぞ言ひけんかし、げに女にて心弱くなびかではえ有まじくもあるかな、さてもうしろめたのわざや、忍びても、さばかりひとつ心になびかし果てでは、それをまたなき事に思ひ嘆きて、逢ひても逢はぬ恋のひとつにてもあらず、またかく添へて思言ふよ、いかにひまなき心の中ならんと苦しきにも、さまざまあつかはるゝにしのびがたくて、
  ひとつにもあらじなさてもくらぶるに逢ひての恋と逢はぬ嘆きを
うちほゝ笑みたるけしきにて、まぎらはすけはひなど、すくよかにをし放ちて見るめでたさは、物にもあらざりけり。
 身に近くうち添ひて、すくよかならず乱れたるなつかしさに、さらに逢ひての恋も逢はぬ嘆きも、みな慰みぬる心地して、思はしういみじきに、見けるをやと思ふいとをしさもさしをかれて、いとゞかき抱き寄せられて、
  くらぶるにいづれもみなぞ忘れぬる君に見馴るゝほどの心は
とも言ひやらず、うるさければ、「そも頼もしげなかなり。誰にも離れぬ形見としもおぼさるらん」とて起くるを、さらに起こさず。「まことは、あな物狂おし、殿の御前にの給事ありつれど、いみじう暑かりつればうち休みしに、急ぎたちて参らねば、あやしとおぼすらん。まづ参りてこん」とて起くるを、いかにおぼゆるにか、あやにくにひき別るべき心地もせず、「あが君」とつととらへて、わりなう乱るゝを、「こはいかに、うつし心はおはせぬか」と、あはめ言へど聞きも入れず。さはいへど、けゝしくもてなし、すくよかなる見る目こそ男なれ、とりこめたてられてはせん方なく、心弱きに、こはいかにしつる事ぞと、人わろく涙さへ落つるに、さてもめづらかにあさましくとは思ひながら、あはれにかなしき事、方ぐの思ひひとつにかきあはせつる心地して、あやしなど思ひとがめられんも、ことのよろしき時の事也けり。残るくまなく見つくしつと思ふに、かばかり心にしみておぼゆる事のなかりつるかなとおぼゆるぞ、心惑いのひとつなるにくらされて、あさましかりけるなども思ひ分かぬけしきなるを、中納言は、いかに思ふらんとかなしう、世にながらへて、つゐにわが身の憂さを人に見え知られぬるよと、涙もとまらぬけしきの、うつくしうあはれなることぞ、似る物なきや。我も泣くく、「今はかた時離れてもえ有まじきを、いかゞすべき」と言ひわぶるに、夜も明けぬれど、起き出づべきけしきもなし。