不開

 用を済ませて畦の壊れた畑を突っ切り、目指す道へ出た少女は、ふとそこにあった倉に視線をとられて足を止めた。閂のかかった扉の前に、襤褸(ぼろ)をまとった少年が数人身を寄せ合って座り込んでいる。よほど空腹なのかうずくまったまま身じろぎもしない。物乞いか、下手をすれば死人にも見えたが、そろって粗末な槍を抱えているのでどうやら守番らしいと知れた。僅かな日銭で雇われた子供たちである。
 実務には堪えそうにない守番たちが守護している倉は、幅八歩に奥行き十歩ほど、見るからに古い木造(きづくり)で、木を接ぐ、板を打ちつけるなどのあまり上等でない補修で長年体裁を保っているらしかった。斑になった外壁を見てみれば、古いままの部分には魔除けの紋が彫り込まれており、閂には白い塗料の跡がある。倉が西日を背負っているせいで見えないのか、もう剥げているのかはわからないが、元は魔紋も青に塗られていたはずだ。青の魔紋に白い閂の倉といえば、少女の今までの旅暮らしで何度か見たことがあった。
「ずいぶんぼろいな。ここの不開(あかず)は」
 声とともに頭に手を乗せられ、少女は首をねじって振り向いた。
「やっぱり、これが不開よね?」
「守番がいるし」
「最初、何の倉だかわからなかった」
「はは」
 少女の知らぬ間に背後に立っていた少年は、黄金色の髪を西日に光らせて破顔した。歳で言えば少女よりも四つ上の十五、彼女が仲間内でも特に親しみ、兄と慕う少年だった。
「糸は買えた?」
 少女は得意に笑って腕の中の麻袋を持ち上げてみせる。少年は小柄な形(なり)で生成の布地を三巻抱えていたが、少女の袋をひょいと器用に取り上げ、その場で中身をあらためた。少女はその間にまた倉を振り向いて、その寂れたたたずまいをしげしげと眺めた。
 不開の倉、と呼ばれるものである。
 決して開けるなと戒められるその倉は島のあちらこちらに点在し、特に物珍しいというほどのものではない。ものによって大小や多少の体裁の差はあるが、おおよそ青の魔紋で見分けがつく。それぞれその土地の者が責を負い、いつかも判然としない古くから、開けるべからずの禁を守り続けているのだった。
 よし、と少年が頭を撫でて少女をねぎらう。
「戻ろう。遅くなると、姐さん連中に怒られる」
 僕たちだけ服を作ってもらえなくなったら笑えない、と言う少年はその言葉に反して朗らかに笑いながら、両腕に渡す形で積んだ布巻の上へ麻袋も乗せて歩きだした。倉から目を離して小走りに追いつき、私も持つ、と少女が袖を引くと、少年は膝を屈めて袋だけ取れとうながした。
「布も持てるよ」
「いいよ、これは僕の荷物。志鳥(しとり)はそれだけしっかり持ってて」
 北へ向かってたどる道は邑(むら)のほぼ西端に位置する。あたりには古びた小屋や荒れたまま放置されている畑が目につき、元々広くもない道は気ままにはびこる草間に半ば消えかかろうとしていた。邑は長い間に東へ拓かれていったようだが、不開の倉があるばかりに、西も全く捨て去るわけにはいかないという風である。貧しい邑民がまばらに住み着き、繁華な方からはそれをあてにした小売りが申し訳程度にやってきていた。
 少女は歩きながら不開を振り返る。少女ら十余人が寄り集まった旅芸人の一座は、邑では歓迎を受けられず、かろうじて北西のはずれにある朽ちかかった小屋で一晩を過ごす許可を取り付けていた。子供たちが探検と称して内部をあらためてみたところ、小屋と同じく朽ちかけた弓矢や槍がいくらか出てきたのだが、それらには不開の魔紋と同じ紋様が彫り込まれていたので、元は不開の守番が寝泊まりしていたのだろうかと、大人たちが話していたのだった。
 ねえ怜(りょう)、と少女は少年を振り向き、わずかに開いていた距離を駆け寄った。
「不開って、結局何が入ってるの」
「さあ、いろいろあるさ」
「いろいろって?」
 少女はごく幼いころに山へ捨てられて以来根なしの旅暮らしであったから、土地に根付いた伝承の類とは縁遠い。彼女は今まで幾度となく大人たちに不開の中身を問うてきたのだが、何度話をねだっても要領を得ず、いつも上手くはぐらかされているような気分でいた。これと明確な答えを聞かねば気が済まない幼さで、少女はこの利口な少年に頼った。
 少年は少女を見るでもなく、腕の荷の座りを良くしようと、歩きながらあれこれと抱え直している。
「いろいろさ。魔か魅(み)か、怪(あやし)か、朧(おぼろ)か、所によって、いろいろに言う。今はどれも魔物の呼び名だけど、元はそれぞれ違うものを指す言葉だったかもしれない。不開の伝承って、どれも古いからな。穢れのない乙女とか、赤子を籠めたなんて伝説も聞いたことがある。なんにせよ開けると中身が出てくるというか、なにかしら不吉があるというのは必ず言われるけどな」
「人も入れてしまうの? 不開って、決まったものを入れるわけじゃないのね。じゃあ、これを入れようって、どうやって決めるのかしら」」
「さあ。いろいろと言っても、呼び方が違うだけで、どれも同じものかもしれないぞ」
「なあにそれ、言ってることが違うわ」
 少女は焦れて少年の袖を引いた。「ねえ、じゃあ、どれも魔物のことなの?」
「うーん」
「ねえ、怜、でも、少なくとも、人は同じではないじゃない。女の人や赤ん坊は、魔物とは違うでしょ」
「さあて、どうだかなあ」
 少年はくつくつと笑った。
 少女は眉根を寄せて少年をねめつけたが、不開の中身などはつまるところ誰にも知り得ない話である。各地へ散ってそれぞれに育ってしまった伝承から唯一の真実を推しはかるなど、到底できるはずもない。しかし少女にとってはそのような実情よりも、信じて慕う少年にすました顔で大人と同じようなことを言われたことが重大事だった。少年は若く聡かったが、少女の幼い傷心を正しく理解できるほどには若くも聡くもなかった。少年は笑い、倉の中身が何かなんて、あまり重要ではないんじゃないか、と言った。言って一度口をつぐんだ彼がふとその金目を翳らせたのを、拗ねて下を向いた少女は見なかった。
 少女は袋を抱きかかえて、少年より歩幅の狭い自分の足を黙々見つめて歩いた。まばらな果樹や家跡の向こう、平らに広い草原の奥で、低い丘に陽がほとんど沈みかかり、小石まで一粒ずつ影を引きずっていた。
 中身なんて何でもいいんだ、と、少年が短い沈黙を破って口を開いた。
「どうせ誰もよくわかってないんだから。――僕はそれよりも、扉を閉めて、封をして、開けるなと言うのがわからない。そうだろう。絶対に開けずにいたいなら、中身を入れた口には板を打つでも、塗り固めるでもして、ただの箱にしてしまえばいいんだ。それなのに、どこの不開も扉がある。……扉があるんだ。ひどい理屈だと思わないか。扉をつけておいて、開けてはいけないなんて、そんなのは欺瞞だ。つまらない、茶番だよ」
 少女は少年の隣を歩きながら、彼の腰に提げられた短剣の気配がゆらりと揺らぐのを感じた。少年がその魔力の依代としている短剣である。微かな魔の気配は荒々しい昂ぶりを秘め、ひどく不安定な揺らぎを抑えられないでいた。大した素養は持たなかった少女も、彼の魔力が日の出と日の入りに安定を欠くらしいことは知っている。少女は少年の声を俯いたまま聞きながら、そのらしからぬ語気の走りを、魔力の揺れが彼の心に影響を及ぼしたものと解した。そういうことはままあるらしい。
 少女はその時少年の表情までは確かめなかった。実のところもうさして機嫌を損ねていたわけでもなかったのだが、一度拗ねたそぶりで顔を伏せた手前、少年がそれに気づいてなだめてくれるまでは顔を上げることも親しく相槌をうつこともできないように思えた。
「僕は思うんだ。扉があるってことは、それはいつか開かれるべきなんだろう。そうでなければ理屈がわからない。この世に不開というものを初めて据えた奴は、決して開けるなと言い含めておきながら、一方で、いつか誰かがその禁を破って倉を開けることも織り込んでいるんじゃないか。開けるなと言われれば開けたくなるのが人情だろう。なのに実際のところ、閂ひとつを外せばそれで扉は開くんだ。魔除けの紋は魔を除けるのであって、人の手を除けるわけじゃない。さっきの不開のところへ戻って、俺が今すぐ開けてやることだってできるんだ。そんなもの、いつか人の手が扉を開くのを待っているとしか思えないじゃないか。……そうでなくとも、少なくとも、不開を守る邑民たちは思ってるさ。あの扉を、誰かが開けてくれればいいって。――きっと思ってる。決して開けてはならない扉を守り続けて、守り続ける責務を負って、その重圧と好奇心が心の底で言ってるだろう。誰かが開けてくれればいいって。開かない扉なんて、どうしたっておかしいんだから。――いつか、自分ではない誰かが開かずの扉を開けて、自分は他の邑民と一緒に掟破りの不埒者を責め立てて、怒り、嘆き、怯える――それを待ってる。そうして、そのせいで起こるはずの不吉を探して、見つけて、それ見たことかとまた詰るんだ。そういう日がいつか来ることを心待ちにしながら、口では開けてはならぬと唱え合うんだよ。扉を開けるなんて悪行は、思いもよらないって。……とんだ茶番だ。誰も彼も、飽きずに知らぬ顔で、そういう茶番を続ける気だろう――」
 少年がふつりと口を閉ざした。西からの日脚が絶え、少年の短剣が沈黙したのを感じ、少女は思わず顔を上げかかった。地上を灼(や)く光がなくなった夕暮れは、ゆるやかな薄闇を連れてこようとしている。
 五十歩ばかりも黙々と歩いた頃に少年はようやく気配をゆるめて、それから少女の様子に気づいて微かに笑った。荷を抱えたまま手を器用に伸ばして、少女の頭をやわらかく撫でる。かたくなに俯いていた少女は思わず少年の手に自ら頭を寄せた。少年が軽く声を立てて笑う。少女は気まり悪く首をすくめたが、はにかみながら顔を上げて、自分もくすくすと笑った。
「――ねえ、怜。不開って、まだどこも開いたことがないの?」
「うん? さあ……」
 見上げてくる少女の頭をさらに二・三度撫でてから、少年は荷を抱え直して首をひねった。
「開いたとは聞いたことがないな。この邑の不開でさえ、あんなに軽んじられて見えるけど、形ばかりにでも守番がついているだろう。僕はまだ人が開けたことはないと思うけど」
 人為でなく開いた不開があったとしても、それはよほど人々に忘れ去られたか軽んじられたもので、人の口にのぼることはないだろう。
 少年がふと笑った。「――俺、開けてやろうかって言ったことがあるよ」
「ええ、不開を? 誰に」
「守番のおっちゃん。どこだったかなあ、北の方だったと思うけど、そこのはけっこう立派な不開で、代々守番を生業にしてる家柄があるようなのでさ。強面のおっちゃんがしかめ面で立ってるんだ。重そうな槍持って。俺、そのおっちゃんの前へ行ってさ」
 その扉、僕が開けてあげようか。
 少年は今より少し幼かった。不開の倉の重々しいたたずまい、邑民の手で清められた跡、守番の男の武装やしかつめらしい表情が、その時の少年にはひどく空々しく、馬鹿らしいもののように思えた。腹立たしいような気さえした。幼いころから大人たちに年甲斐がありすぎるなどという言葉で笑われ、あるいは苦い顔をされたほどに分別のある少年であったから、そのときはたまたま何か虫の居所が悪かったのだろうが、どちらにせよそれを腹の中に収めておけるほどの自制心はまだ持ち合わせていなかったのである。
 開けてしまいたいだろう。開けるなら他所者のほうが、なにかと都合がいいだろう。僕が開けてあげようか。
 壮年を超えつつある男は片目が潰れていた。開いた片目も険しい顔つきの中で皺に埋もれそうに見えたが、その目が鋭く正面に立つ少年を射た。口端が歪んでわずかに笑ったようでもあったが、それは少年の記憶違いかもしれない。男は滅多に動きそうもない口を開いて一言だけ言った。
 ――自分の目も開けられない餓鬼が、やたらに扉を開けようとするな。
「……目?」
 少女の呟きに、少女はただ微かに笑った。
「怜の目、開いてないの?」
「どう思う?」
 少女は少年の前に回って彼の金目をのぞき込んだ。少年は微笑を湛えたまま立ち止まり、黙って少女に視線を合わせる。少女がゆっくりと片手を伸ばした。
 彼らの奥、西の空では、巨大な影と化した丘に紅い残光が吸い込まれ、足早に闇が訪れようとしていた。
「……どう?」
 少女の手に両目を塞がれた少年が、口元にゆっくりと弧を描く。問われた少女はやがて無言で手を引き、少年の両目を改めて見比べてから、浮かせていた踵を下ろした。
「よくわからないわ」
「――僕も」
 少年は笑い、戻ろう、と少女をうながした。「早くしないと、真っ暗になる」少女はうなずき先へ立って、少女らしい軽やかな足取りで細い小道をさらに西へ折れた。最後の紅い光が少女の後姿を影にして、道の先へ迎え入れる。少年は腕の荷を抱え直してから、日暮れに向かう少女の影を追って、自分も足を踏み出した。

2012年秋、大学の部誌に掲載。
とんだファンタジーを大真面目に書いてみようシリーズです。
とても楽しいですがとても恥ずかしいです。
もう少し話を説明するためにもう一本書き添えるつもりでしたが、筆が間に合いませんでした。
というかもう……設定していた怜の出生がもう……なんかアレなので、考え直したいんです。
でも飽きて投げちゃうと思います。
動いてる志鳥を書きましたが、こんな感じで良かったのかなあ、とちょっと志鳥に申し訳ない気も。

2012.11.18