ドロップ

 今日の午前のぶん、とノートのコピーを差し出してやれば、瀬川はありがとうと言って、屈託なく飴玉の包みを一つ差し出すのだ。 何のこだわりがあるのか、ただの無精なのか、瀬川は午前中の授業に極力出てこない。 最初の一度を引き受けてしまった私の弱いところで、次もと言われれば不平を言っても無視はできず、瀬川の欠席を確かめ、板書を取り、コピーをして、午後の授業で会えばそれを手渡した。 引き換えに飴玉をもらう。 わざわざ新しく買い求めたという瀬川のコピーカードを一枚預かっていたから、お金に関しては少しの貸しもないにせよ、私は一度のサボりもなく授業に出て、ある程度気を遣ったメモを取り、昼休みにわざわざコピーをしに行くのだ。 その手間と時間を飴玉一つで買えた気になられるのも癪な気がして、もらった飴玉はその場で開けて噛んでしまい、なるべくあっけなく平らげることにしていた。 舐めて食べればもっともらしい時間がかかる食べ物を、そうと分かって寄越しているのかどうか、瀬川は毎度私の意地を笑って眺めて、次もよろしくと言う。 それがどのくらい続いたのかはもう数えないことにしている。 午後の授業が終わってまたコピーを渡したとき、瀬川はすぐには飴玉を出さなかった。 ありがとうと言って、内容を確認するようにぺらぺらと紙をひっくり返していた。 最後の一人が教室を出ていく気配で私は我に返る。欲しいわけでもない飴玉を突っ立って待っていることはないのだ。 じゃあね、と私は言って踵を返そうとする。 前にも言ったけど、飴玉は要らないよ、瀬川くん。 すぐ食べてしまうんだから、どのみち割に合わない。 瀬川が紙から顔を上げて言う。 なら、一つでなければいい?  私はあきれて足を止める。 瀬川がいつもの、屈託もなければ、読み取れる感情もないような笑顔になる。 今度デートしよう、高木さん。 手、出して。 意味が分からずますますあきれた私がつい差し出した左手に、瀬川がポケットから両手いっぱいの飴玉を取り出して乗せようとした。 慌てて添えた右手もはみだして飴玉があふれた。 床へ散らばった赤や黄色を見下ろして凍りつく私に、それで一日の手間と時間に足りるかと瀬川が訊く。 高木さん、今度の休みに会える?  しばらく沈黙し、こんな誘い方で落ちる女はいないよ、と意見すれば、落ちるのはまだでいいよと瀬川は応じてのたまった。 そういうのは、これからだから。 私は両手に持っていた飴玉を見下ろし、ばらばらと床へ落とした。 飴玉、こんなにもらったって、仕方ない。 一つでいいよ。 そう、と瀬川はあっけなくうなずいた。 私は一つだけ右手に残していた赤い包みを開けた。 ともかく楽しげではある笑顔で、瀬川が飴玉を口に含もうとする私に言う。 また、あっという間に食べるつもり?  私は瀬川の笑顔を一度見上げ、目を閉じて、甘く匂う飴玉を口の中へ放り込んだ。

2012年春、大学の部誌に掲載。
女の子は真央依(まおい)ちゃんで、男は有矢(ゆうや)くんです。どうでもいいです。
オーソドックスな小説として練っていましたが、どうにも収集がつかないのでダイジェストに。
これはこれで良い形にまとまったんかな。
文章量的に、一言一句選ぼうという気力がもつのはこれくらいが限界だと書いた後で思いました。
体力がありません。
テーマは「ちゃんとストーリーっぽいもの」でしたが、しょせんこんなもんでした。

2012.4.18