ノン・アルコール

 曇っている。
 住宅街によく見る類の小さな公園には、ブランコと背の低い鉄棒しかなかった。それでも、解放感と涼しい風と、人が二人座れる場所は十分にある。ぼくは冴加(さえか)と一緒にブランコに座って、ワイングラスで乾杯をした。薄くて高級なグラスはさすがに、派手やかで美しい音がした。
 冴加はこういうものにお金をかける。ぼくも多分、だいたい同じ穴の貉(むじな)だとは思うが、悪癖と呼ぶのは個人の価値観だとも思っている。
 昼過ぎ。平日の世間に人気は少ない。
 乾杯のときに、おめでとうを言った。祝杯だったからだ。別にめでたいことがあったわけでもないけど、祝い事がなくとも祝杯をあげるのは勝手だ。ぼくと冴加は上機嫌にグラスを干した。冴加の手つきは、場違いに優雅で手慣れている。太陽は、どんよりと迫る雨雲の縁に、さっき飲みこまれた。
 制服の高校生が一人、遅刻なのか早退なのか、40メートルの距離を通りすぎていく。ぼくと冴加を、実に不審そうな目で見ていった。それはとても正しくて理性的だ。平日の昼間の公園に、ワイングラスで乾杯している男女を見れば、当然の反応だとぼくも思う。仕事をさぼったわけではなくて、有給はちゃんと取っているのだけど、それで見た目の怪しさが減少するわけでもない。ただ、ぼくも冴加も、あまり気にしていない。ばっちりとマスカラをつけた視線がささっているのを感じながら、ぼくはほろ酔いした気分でもう一口飲んだ。
「今時の女子高生って、けっこうしっかり化粧してるんだ」
「そうね。するわね」
 冴加も一口流しこむ。
「でも一応言っておくわ、今の子は中学生よ」
「そうなの」
「そうよ。見ればわかるでしょ」
 そうだったかなと首をかしげた。高校生に見えたのだけれど、冴加が言うならそうなのだろう。ぼくに中学生と高校生は見分けられない。そのことはまったく不思議でないし、焦りも特に感じなかった。
 大人しく飲んでいた冴加は、ぼくの発言に少し現実感を取り戻したらしく、グラスを揺らしてぼくを小突いた。
「だいたい、イマドキの若い子の話なんてやめなさい。親父くさいわ。私たちだって若いんだから」
「若いかな」
「若いわよ。高校生と比べるから悪いんだわ」
「そうか。じゃあ、若いね」
「そうよ」
 冴加はいきおいよく残りをあおり、おかわり、と言った。
 ぼくと冴加が飲んでいるのは赤ワインだ。ノン・アルコールの。
 ぼくは足元のビニール袋をがさがさ言わせて、果汁100%の文言がおどる紙パックを取り出した。家から持ってくる間にぬるくなるのが嫌だから、この近くのコンビニでついさっき買い求めたのである。パックの口をあけて冴加のグラスに注ぐ。冴加はぼくに注いでくれる気がないようだから、自分のグラスはセルフサービスで満たした。
 ワイングラスは、コンビニで買うものでもないから、新聞紙で厳重につつんで家から持ってきた。荷物持ちは、とうぜん冴加でなく、ぼくだった。
「冴加」
「何?」
「もう一回」
 また乾杯をする。非常識だけど、それをとやかく言うのも今さらすぎる。ぼくはマトモでないし、冴加もマトモでない。遠慮する理由がなかった。
 ぼくは変人だ。
 ”社会人”をするのは上手くないと自覚している。だがしかし、他とくらべて特に下手だとも思わない。変人であることに関しては皆、にたりよったりの域で、ぼくは普通の仕事は普通にできるし、酒の席にもつきあえる。それで十分だ。もしかして十分でなかったとしても、ぼくはそれに気づいていないから、構わないのだ。
「意外と、やっていけるもんだね」
「何が」
「ぼくが。冴加も」
「あのね、飲みながら小難しいこと考えるのはやめなさい。悪酔いするわ。もっと気持ちよく飲みなさいよ」
 冴加は豪快に、グラスの中身を一気に干した。白い喉元が晒されて、雲ごしのかすんだ光をはじく。納得したので、ぼくも冴加にならって一気飲みをした。なにせアルコールでないから、咎める必要がない。ジュースと呼ぶのは冴加の美意識に反するらしいから、ぼくもワインと呼ぶ。
 ぼくも冴加も、酒には強いほうだけど、べつに好きではなかった。特においしいとは思わないし、酔うことのみが目的ならわざわざ飲む意味はない。酒は高いのだ。
 アルコールなんてなくても、酔うことはできる。少なくとも、ぼくと冴加はできる。
「冴加」
「何?」
「なくなった」
 紙パックは空になっていた。冴加は不機嫌そうに眉をしかめ、グラスに残った最後の一滴を、舌の先に落とした。
「まったく、あんたがぐちゃぐちゃ言うから、酔いが醒めちゃったじゃない。気分が悪いわ」
「酔ったんだろ」
「ばか、違うわよ。ほんとに、腹が立つわ、あんたって人は」
「また買う?」
「ばかじゃないの。要らないわよ。要るわけないじゃない。そんなに飲むわけないでしょ。ほんとに、気分悪いわ、あんた……何よ」
 にやついているぼくを見て、冴加は眉間のしわをさらに深くした。それを見て笑ったぼくを、冴加は不審の目で見てから、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ぼくは吹き出した。
 たまらなくおかしい。理由は希薄だ。空になったグラスを割らないように細心の注意を払いながら、ぼくは腹をかかえて笑いころげた。
「あんた、酔ってるの」
「もちろん。酔ってるよ……すごく。冴加、今の気分は?」
 眼尻に浮いた涙をぬぐう。冴加はそっぽを向いたままグラスを揺らした。
「最悪ね。ほんと、最悪」
 ぼくは声を上げて笑い、立ち上がって冴加にキスをして、冴加の手を引いて立たせた。ビニール袋を拾い上げて、家に向かって歩き出す。
「帰るよ。文句ないだろ?」
「知らないわ」
「次の休みは海で飲もうよ」
 できるなら曇った日がいい。雨でもいい。またグラスを持って、ノン・アルコールのワインを買って、冴加と一緒に酔っぱらってしまおうと思った。冷たい風が酔いさましになるくらいでちょうど良いはずだ。ぼくも冴加も、歯止めというものの重要性をしらない。
 片手にワイングラスを持ったままのぼくと冴加を、すれ違う人が醒めた目で見ていた。ぼくは笑ったままで歩いていて、冴加もきっと、ぼくに見えないように笑っているにちがいなかった。人の少ない一本道を、灰色な空が見下ろしていた。

2008年、高校一年の秋。
際立った変人キャラで書いてるときは楽しかったけど、読めば読むほど意味わからなくて、そして面白くない←
漢字を減らそうというのはこの頃考えたんだな。
最近また増えてきたけど、やっぱりこれくらいの方がいいかなぁ。

ここでいうノン・アルコールの赤ワインというのは、つまり、果汁100%ブドウジュースのことだったんですが……
分かりにくいよね(笑) あと果汁100%のジュースってコンビニで売ってるのかしらと今思った

2011.9.6